1月31日 最後の日記

今日は午前中親父のことはお袋にお願いし、昼までゆっくりさせてもらった。

昨日親父が「ヒグチのロールケーキやったら食べたい」と言ったのでヒグチに買いに行った。
ヒグチには3種類くらいロールケーキがあり、どれか分からなかったので、店の人に「一番売れてるのどれ?」と聞くと和三盆ロールとのことなので、それを買った。

病院には昼過ぎに着いた。
今日は様子が違う。なんだかかなりしんどそうだった。
昨晩、点滴が入らなくなったらしい。ずっと点滴をしていたので、静脈が取れなくなったとのこと。

ロールケーキは2、3口食べた。
前日に久しぶりに体も拭き、着替えもしたところなので、こざっぱりしていた。

何かして欲しいことあるかを聞くと、鼻をぬらして欲しいと言われたので、綿棒を湿らせ鼻の穴をぬらした。ずっと酸素を入れているので、乾いてしんどい様子。

少しして、ご飯を食べに行こうとすると、先生が話しがあるとのことでナースセンターに呼ばれた。

治療の具合は、あまり効いていないとのこと。また、点滴が入れれないのでカテーテルを入れること、トイレも難しくなってきたので管を入れたほうがいいとのことだった。
治療後はまだCTを撮っていないので、効き具合は分からないが、あまり変化がないので期待できないとのことだった。

親父にはカテーテルのこと、トイレのことを説明した。
かなりしんどい様子で好きにしてくれという感じだったが、トイレは自分で行くと言う。
「じゃあ、オレが尿瓶で取ろうか?」というと嫌がった。
とりあえず、カテーテルを先に進めてもらい、その間にお袋とご飯に行くことにした。

今日も「番町うどん」。
実はてんぷらうどんが食べたかったが、たべたいものを食べてしまうとここに来る意味がなくなりそうで我慢していた。
また明日、また明日と思ってうどんを食べにこれるように。

病院に戻るとまだカテーテルを通しているところだった。
少し外で待った。
少しして、看護婦さんがおしっこ用の管を入れることに親父が腹を決めたようで、次は管入れをするとのことだった。

結局全部終わったのが4時半ころ。

病室に行くと、酸素吸入がマスクに変わっていた。
かなりしんどそうだった。

お袋は朝からずっと居るし、おばあちゃんも連れてきてあげたかったので、親父に「ちょっと一回帰るな、またすぐくるから」というとうなずいた。
いつもなら「さよなら」とか「ばいばい」と言うが、今日は言わなかった。

看護婦さんが少し悲痛そうな顔をして、「何時ごろこれますか?」と聞かれたので「えーっと6時ころには」というと「わかりました」と言った。少しいやな予感がした。

家に帰り、姉に電話した。
僕は27日以降ずっと看病できているが、姉は仕事の都合で来週にならないとこれない状況だった。ただ、あまり良くない状況なので無理してでも来ないかと言った。
その話をして10分もしないうちに病院から電話があった。
タンが気管に入ったようで、現在呼吸が停止しているとのこと。何分でこれるか聞かれたので30分とこたえた。

事故をしないように、事故をしないように、と心で唱えながら、お袋とおばあちゃんを車に乗せて病院へ急いだ。

お袋とおばあちゃんを先に病院に入れ、僕は車を駐車場に置き、すぐに病室に向かった。
病室では先生と看護婦さんが3、4人居て、交代で心臓マッサージをしていた。
おばあちゃんは「ミツヒロかえっておいで!」と叫んでいた。お袋は目に涙をため、押し黙っていた。
先生から「30分以上マッサージをしていますが、蘇生しません」と言われたので
「ありがとうございます。もう結構です」と声を振り絞った。

いつごろ戻ってこれるか聞いてくれた看護婦さんは一緒に泣いていてくれた。

あと1時間がんばってくれたらユカリとカズサとユウキに会えたが。
カズサとユウキには病院のエレベータの中で、じいじが死んだことを言った。
カズサは病室でわんわんと泣いた。ユウキはまだ分からない様子だった。

姉は病院には間に合わなかったが、夕方話をしていて、姉も嫌な予感がしたようですぐに飛行場に向かっていた。

僕は27日から5日間、こんなに長く親父の寝てる姿を見たのは初めてだった。
少しだけど、話もできた。
最後はほとんど苦しむこともなかった。
むしろ、変に薬が少しだけ効き、苦しい中で生きていくよりよかったとも思った。

これで、この日記を終わります。

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