1月27日

先週、高松日赤病院から連絡があり、出来れば姉と来て話をしたいとうことだったので、姉と病院に行った。

病院から呼ばれて話すことなんて、いい話ではないことはわかっている。
悪いがどの程度か・・。

少し待たされ、先生から話を聞いた。
今まで抗がん剤で収まっていたがん細胞が、抗がん剤が効かなくなり右の肺ほぼ全域を埋め尽くしているとのこと。
肺に水がたまっていたが、それはなんとか抜くことができたこと。
がん細胞が大きな血管を圧迫しているので、体の右側に腫れが生じている状況。

これらのすべての状況を鑑みて、治療を進めるべきか、対処療法つまり緩和ケアに移るべきかを相談された。

個人的には、先生が話しをするということは治療による望みは薄いと思ったため緩和ケアに移してあげるべきと思ったが、おばあちゃんの意見も聞くべきと思い、3人で相談して報告すると言った。

姉は親父はいままでなんでも自分で決めてきたので、今回の決定権を親父に決めさせるべきと言った。

まともな精神状況なら、親父に決めさせるという選択肢も含め、姉、おばあちゃん、僕の3人でどうするか持ち帰るべきだったのだが、先生も早く答えが欲しかったのか、姉もあせっていたのか、僕も混乱していたのか、結局その場で親父に決定権をゆだねることとなり、先生が親父に説明にいってくれた。

先生がしばらくして戻ってきて、「やらないと治らないんでしょ。ならやりますよ」といったと笑いながら応えてくれた。
強いなぁと思った。
自分なら、楽にしてほしい。

家に戻りおばあちゃんに全部話した。
親父が治療をして、1日でも長生きしようとしていることがうれしかったようだった。

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